2021/4/14
ひとりで電車に乗っている。窓の外を見ると、小さな子供を連れた女の親子が電車に乗りたくて次の駅まで一生懸命走っている。でも間に合わなかった。電車が折り返してきたようだが、やはり窓の外を見ると、さっきの親子が、電車の駅まで走っている。親の方はもうへとへとだ。子供は川の橋をわたって、もう駅の方までついたが、親はやはり間に合わないところで目が覚めた。午前2時30小便に起きる。後寝付かれないで、4時に起きてこの日記を書く。
この夢で思い出すことがある。父が亡くなって、私が2歳、妹が1歳の終戦後間もない親子3人、本家の世話になることになり、富山の田舎で暮らし始めたときのことで、殆どのことは覚えてないが、この出来事だけは、ずーと心の奥底に眠っています。誰しも何らかの形で、命拾いをした経験があると思いますが、私の忘れられない恐ろしい経験でした。
富山の町に出るため、母親と二人出かけた日のこと
近くのJRの駅に行くには、大きな川を越えなくてはならず、橋を渡らなければ川を超えれません。その村から橋を渡るには、何キロも上流の橋を渡らなければいけなかった。そのためその当時駅に行くには、近くのJRの鉄橋を渡るのが常だった。私と母親も当然のことながら鉄橋を渡って対岸の駅に向かいました。その当時の鉄橋は、真ん中に40~50センチ板が敷いてありそこを母親が私の手を引いて、母が前で私がしたがって歩いていました。しばらくすると対岸から汽笛が聞こえ汽車がこちらに向かってくるのが見えました。汽車の時間を調べたはずなのに汽車が来たのです。母親は必死に私の手を引いて20~30メートル先の小さな待避所を目指しました。何とかよけることが出来たので、今日生きてるわけですが、間一髪で間に合ったのを覚えています。其の時の恐怖感はいまだに忘れることが出来ません。